フローベールによる「愚行の発見」(クンデラ)

フローベールによる「愚行の発見」(クンデラ)

リード(問いでもある)
 現代の小説家クンデラは、フローベールの小説に満ちてある愚行の数々への肯定を画期的な発見だったと言う。しかも愚行は時代とともに進歩するというのだ。

キーワード(3つまで)
愚行の発見、紋切り型(→ステレオタイプ)

引用文掲示
 もちろんフローベール以前にも、愚行が存在することを疑う者はいませんでしたが、それはすこし別なふうに理解され、たんに知識の欠如、教育によって正されうる欠陥と見なされていたのです。ところがフローベールの小説では、愚行は人間の実生活と不可分の側面になり、日々の生活を通して、愛の床や死の床まで哀れなエンマにつきまとうのです。(クンデラ2016:226)
 しかし、フローベールの愚行の見方において、もっともショッキングでスキャンダラスなのは次のこと、すなわち愚行は科学、技術、進歩、現代性などを前にしても消えることなく、逆に進歩とともに、愚行もまた進歩する!ということなのです。(クンデラ2016:227)
 フローベールは底意地の悪い情熱を傾けて、じぶんの周囲の人々が利口であり、事情に通じていると見せようとして口にする、紋切り型の決まり文句を収集し、これをもとに有名な『紋切り型辞典』を作りました。この表題を使ってこう言いましょう。現代の愚行とは無知ではなく、紋切り型の考えの無−思考を意味しているのだ、と。フローベールのこの発見は、世界の未来にとって、マルクスやフロイトのもっとも衝撃的な考えよりずっと重要です。なぜなら、階級闘争のない、あるいは精神分析のない未来を想像できても、紋切り型の考えの抗しがたい増大のない未来は想像できないからです。紋切り型の考えはコンピューターのなかに登録され、マスメディアによって伝播されて、やがてどんな独創的で個人的な思考をも押しつぶし、その結果、近代のヨーロッパ文化の本質そのものを窒息させる力となりかねないのです。(クンデラ2016:227)

出典
ミラン・クンデラ『小説の技法』西永良成訳、岩波文庫、2016年、9-34ページ。

文脈
近代小説こそが世界を発見してきた、とくに生活世界を。

論点
(1)愚行とは何か。
(2)愚行の発見の意義は何か。
(3)紋切り型が無−思考になっているとはどういう事態か。
(4)なぜ情報化によって紋切り型が増幅していくのか。

ディスカッション
 フローベールはどのような小説を思い描いていたのか。気になるのでフローベールの書簡から引用しておく。いかにして紋切り型から距離を取るかについての決意と読める一節。
「ぼくにとって美しいと思われるもの、ぼくが書いてみたいもの、それは何についてでもない書物、外部との繋がりをもたず、地球が支えもなく宙に浮かんでいるように、文体の内的な力でみずからを支えている書物、できれば主題がほとんどないか、少なくとも主題がほとんど見えないような書物です。最も美しい作品とは、最も素材の少ない作品です。表現が思考に近づけば近づくほど、語は思考に密着して消えてゆき、いっそう美しくなる。」(堀江敏幸編2016:732)

文献情報(読書案内)
 小説を読める人はフローベールの小説(『ボヴァリー夫人』『感情教育』河出文庫)を読むに越したことはないが、とにもかくにもクンデラの『小説の技法』を読んでみてほしい。小説に対する見方が変わる。
 1冊でフローベールが読めて、有名な書簡集も読めるのは、集英社文庫ヘリテージシリーズの『フローベール』(堀江敏幸編)だけである。
 紋切り型については「ステレオタイプ」と表記されることが多くなっていて、文献は社会学と社会心理学にある。これらの研究領域では、リップマン『世論』の中で使われたことがきっかけになっている。リップマンは、ステレオタイプを「思考の節約」だと述べている。

タグ(ラベル)
#愚行の発見 #ステレオタイプ #クンデラ #フローベール #近代小説

執筆者
野村一夫
マルジナリア(あなたのノート)






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