現代の時代精神としての「還元の白蟻」(クンデラ)

現代の時代精神としての「還元の白蟻」(クンデラ)

リード(問いでもある)
 小説は読者に「物事はきみが思っているより複雑なのだ」と言う。抵抗しなければならないのは「還元の白蟻」だ。

キーワード(3つまで) 
 還元の白蟻 複雑性の精神 単純化

引用文掲示
 だが残念ながら、小説もまた、世界の意味だけでなく作品の意味をも還元する還元の白蟻にさいなまれる。小説は(文化全体と同様)ますますメディアの掌中に握られ、地球の歴史の統合を代行するこのメディアが還元の過程を増幅し、誘導する。彼らは最大多数に、みんなに、人類全体に受け容れられるような同じ単純化と紋切り型を全世界に配給する。だからいろんな機関で様々に違った政治的利害が表明されることなどはさして重要ではない。この表面上の違いの蔭には共通の精神が支配しているのだから。左派であれ右派であれ、《タイム》誌から《シュピーゲル》誌までのアメリカやドイツの政治週刊誌にざっと目を通すだけで充分だ。彼らはいずれも同じ人生観をもち、この人生観が目次構成の同じ順序、同じ見出し、同じジャーナリズム形式、同じ語彙と文体、同じ芸術趣味、彼らにとって重要なものと無意味なものとが判断される同じ序列などのなかに反映されている。様々な政治的違いの蔭に隠されているマスメディアのこのような共通の精神が私たちの時代精神なのであり、この精神は小説の精神とは反対のもののように私には思われる。(クンデラ2016:31)
 小説の精神とは複雑性の精神であり、それぞれの小説は読者に「物事はきみが思っているより複雑なのだ」と言う。これが小説の永遠の真実なのだが、この真実は問いに先立ち、問いを排除する単純で迅速な答えの喧騒の中ではだんだん聞かれなくなる。私たちの時代精神にとっては、正しいのはアンナなのかカレーニンなのかであり、知ることの困難さと真実の捉え難さを語るセルバンテスの古い知恵などは迷惑で無益に思われるのだ。(クンデラ2016:31-32)

 地球の歴史の統合、意地悪くも神が達成を許したこのヒューマニストの夢は、目が眩むほどの還元の過程に伴われている。還元の白蟻たちが久しい以前から人間生活を蝕み、最高の愛すらも結局取るに足らない思い出の残骸にされてしまうのは事実である。しかし、この呪いは現代社会の性格によって途方もなく強化される。人間の生活はその社会的な機能に還元され、一国民の歴史はいくつかの出来事に還元され、これらの出来事が今度は一つの片寄った解釈に還元される。社会生活は政治的な闘争に還元され、この政治的な戦いはただ地球の二大強国の対決に還元される。人間はまさしく還元の渦巻きの中にいて、そこではフッサールが語った「生活世界」はどうしても霞んでしまい、存在は忘却の中に落ちこんでしまう。(クンデラ2016:30)

出典
ミラン・クンデラ『小説の技法』第1部「評判の悪いセルバンテスの遺産」 西永良成訳、岩波文庫、2016年、9-34ページ。

文脈
 現代社会にあっては小説の精神は単純化されてしまう。

論点
(1)還元の白蟻とは何か。
(2)メディアによる還元とは、どういうことか。
(3)共通の精神と複雑性の精神の対立はどちらが優勢か。
(4)ニュースはそうかもしれないが、物語性のあるエンタテインメントには小説の精神が生き延びているのではないか。

ディスカッション
「還元の白蟻」というのは、ものごとを単純型もしくはステレオタイプに還元して終わりにしてしまう作用のことである。ものごとの複雑さに耐えることができないから単純化してしまう乱暴なやり方こそが現代の時代精神なのだろう。誰でも知っている既成の方程式に変数を入れるだけの処理。社会学ではおなじみの「システムの複雑性の縮減」がまさに複雑性を複雑なままに表現する小説の精神をなぎ倒すのである。
 コロナ禍にあって東京オリンピックが開催されている現時点でこれを読んでしまうと、テレビが視れなくなる。今さらではあるが、まさにテレビはこうした還元の装置である。

文献情報(読書案内)
 ニュースとステレオタイプを結びつけて論じたのは、W.リップマン『世論』掛川トミ子訳、岩波文庫、1987年。その第3部が「ステレオタイプ」である(上巻)。

タグ(ラベル)
#還元の白蟻 #複雑性の精神 #単純化 #ステレオタイプ #共通の精神

執筆者 野村一夫
マルジナリア(あなたのノート)

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